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◇野球についての戯れ言◇ |
=茅ヶ崎市内5校の野球部特集を終えて= |
半月の間に、5つの学校の野球部を訪問して、取材・編集・アップという作業をするのはなかなか骨が折れましたぜ。お陰様でペーパー版も出来上がってホッとしているところだ。 (取材に協力して下さった皆さん、この場を借りてお礼申し上げます。ペーパー版がなかなか入手できない、という方はWEB版の“on paper back number”をご参照下さいね。何せ発行部数が少なくて...) で、少なくとも、茅ヶ崎市内にある高校の監督・部長といった指導者たちが真面目に野球に取り組んでいる、ということがわかったのは収穫だった。また、高校生たちも野球を通じて“何か”を得ていることは、肌で感じられた。 茅ヶ崎の学校が甲子園に出たことはこれまでないし、全国制覇ができるほどの環境・資質が揃っているとも言い難い。しかし、けして底辺を形成するだけではない、「自分史に燦然と輝く1ページを」と指導者・選手ともに燃えているのは間違いなく、その教育的効果は想像していた以上であった。 (それは野球部に限らないのだが) それにしてもなぁ...。ウサギ跳びをしている学校は一つたりともないね。 その昔、野球と言えばウサギ跳びというイメージがあった(「巨人の星」の影響かもしらん)が、誰もが“科学的根拠”を欲しがる時代になったわけか...。 「練習中、水を飲んではならない」「野球選手に水泳は禁物」とかいったフレーズ(金科玉条と言っても過言ではなかった)は何処へ行ったんだろう?どのチームもスポーツ飲料水を常備しているし、水泳は全身運動なのでよいとか言うし、しまいにゃアイシングとかやって、思いっきり肩を冷やしているんだもんなぁ。 いやいや、別に“昔はよかったね”とか“俺が若かった時はよぉ”などと言おうとしているわけではないんだよ。ただね、高校生を指導している先生たちの年齢が私と同じくらいだ(ちなみに今年で43歳になりますぜ)、というところにちょっとした引っ掛かりがあるわけだよ。 (少なくとも市内には私より5歳以上若い監督・部長は一人もいない!) 彼らは間違いなく「巨人の星」をテレビで見ていたはずだ(アンケート項目には入れませんでしたが)。例外なく、少年野球・中学野球部・高校野球部と歩んでいたはずだ。そして、くだんの訓示を受けてきた世代だ。 現在、NHKで解説者をしている荒木大輔氏(早実高校で5季連続甲子園出場という、現行の学制が続く限りけして破られることのない偉業を達成した際のエース。松坂大輔くんは荒木氏がいなければ誕生していなかったと思われる)も言っていたが、「ボクが高校2年生くらいの時からアイシングとか、ちょっとやり始めたんですよね」と。 彼が高2といえば、1981年のことになる。たったの20年ほど前に過ぎないのだ。 それでも彼は早実−ヤクルトというかなりの表舞台を歩んできたからこそ、情報も早かったわけで、“アイシング”“筋トレ”“スポーツ飲料”は一体どのようにして、いつから一般的な野球部に浸透していったのだろう、と不思議に感じてしまうのである。 まあ、誰もが中学・高校時代に部活をやっていれば、帰りがけにちょっくらチェリオ(今もあるのか?)とかコーラの1リットル瓶一気飲みくらいはやったろうが(やったのか?)、いつから練習中に水分を摂るべきだ、という考えになったのだろう。 コペルニクス的展開と言わざるを得ない! 考えてみれば、クソ暑い中、喉が渇けば水分(しかも吸収力のあるもの)を摂るのが妥当だし、ピッチャーもビュンビュン投げれば肩も熱を持つから、冷却する方が自然なんだが。 その「自然なんだ」と今思えることが、どうして当時は自然だと思えなかったのか、ということを考えるに、人間というのは、意外に「こうなんだ」と一度思い込んだものについてはなかなか情報を入れ替えづらいし、思い込んだことをやっている分には体もついてゆくのかな、などと、やや『精神>科学』論(管理人命名)に傾いたりもする。 何しろ、メディアの力を思い知る今日この頃である。 今、 『実はピッチャーは投げたあと、アイシングするよりも、血行をよくするためにガンガン暖めるべきだという研究結果が出ました』 などと、ジョーブ博士(あの村田兆治投手の右肘を手術した名医)あたりが発表すると、おそらく何パーセントかの投手は投げ終わった肩を必死になって暖めるのではなかろうか。 1998年、プロ野球で横浜が日本一になってしまった(!)時、監督の権藤博氏は徹底した継投策を用いていた。勿論、佐々木大魔人がいたからこそ可能な策ではあったが、彼をそうさせたのは、自身の現役時代に“権藤、権藤、雨、権藤”と今もローテーション無視の投手起用をした際の戒めとして、しばしば使われるフレーズがあながち冗談ではなかったことに起因する。 (権藤氏は新人の年に35勝という、現在のプロ野球では考えられない記録を達成。翌年に30勝を積み重ねたあとは、ほとんど投手としての実績を挙げていない。“権藤、権藤、雨、権藤”は雨天中止のほかは、来る日も来る日も権藤がマウンドに上がる、という意味で、“神様・仏様・稲尾様”と並んで使用頻度の高いフレーズである。でも、入試にはたぶん出ない。) 彼は自らの投手生命を、酷使によって縮められたと考えており(ま、確かにそうですな)、横浜の監督になる以前、複数の球団の投手コーチ時代も、監督に対して絶対にピッチャーの無理強いを許さない信念の人でもあった。 監督になってからも、その信念を貫き、横浜は完投投手がほとんど出ない(というか、出さない)チームへと変貌した。 で、彼の場合は自らの経験則に基づき、さらにデータ収集による“科学的”根拠を肉付けしたわけだが、稀に酷使に耐えてしまう人物がいたりするので、困りものだ。 その名は天皇・金田正一。14年連続20勝、完全試合達成、通算400勝など、記録を上げれば枚挙に暇がない。しかも400勝の大半が弱小球団である国鉄(その後、サンケイ、さらにヤクルトへと売却されるほど弱かったんだよ)で挙げたものだから恐れ入る。晩年は「優勝したい」という理由でON(世界の王貞治さんと、宇宙の長嶋茂雄さんのイニシャルね)のいる巨人へ移籍するあたりも、さすが天皇! 彼がロッテで監督になった際、選手たちにこう言った。 「走れ!走れ!」 彼も信念の人であるから、徹底していた。彼は高校中退後、「夕食はどんぶり飯二杯」(当時はプロ野球選手でも、好きなだけ飯が食える状況ではなかったんだね)というインセンティブ契約を取り付けて入団しただけに、昼間は走ることで下半身を鍛え抜いて(夜は夜で別の手段で鍛えていたそうだが)結果も出さざるを得なかった。そして、見事に結果も出してみせたのだ。 彼が自らを「酷使された」と言ったのを聞いたことがない。だから、選手たちに「走れ!」と言い続けたのである。 おぉ、話がかなり大きくなってしまったが、権藤氏も金田氏も、自分の若かった頃の経験が“黄金律”となり、監督としての仕事にも反映された、ということを言いたかったわけだよ。 然るに、現代の高校野球に於ける“科学”というのは、どこまでが科学で、どこからかは指導者の経験則で、さらに別の領域では精神論なのか、ということについて考えさせられた、というわけだ。 折しも、先日フランスで行われたサッカーのコンフェデレーションズカップ(サンガの松井くんも出ていましたな)で、カメルーンのフォエ選手が試合中に死去する、という報道を聞くに及び、実は科学とスポーツとは、我々が考えるほどには接近していないのでは、と少しまじめに考察してみたのだよ。 地方予選や全国大会(いわゆる「甲子園」です)を見に行く人も、熱中症には十分注意しませうね。 ちなみに、甲子園名物の“カチワリ氷”より、コンビニで売ってるスポーツ飲料水の方が、科学的には吸収されやすいそうだけど、あなた、どうしますかね? |
☆☆☆戯れ言その1☆☆☆[2003.4.17up] |
こう見えても(見えてない?)私は「超」野球少年だった。どのくらい「超」なのかというと、 本当は、ドラフト制・FA制度・鳴り物応援の是非・社会人野球への提言など、本を10冊くらい書けるほどのアイデアがあるが、それはまた別の機会にご紹介しよう。 |