◇
茅ヶ崎高校文化祭へ
◇
鶴嶺高校文化祭へ
◇
TOPページに戻る
なぜ「牛」なんだ?
という疑念は晴れぬまま、9月26日(金)、北陵高校文化祭を訪ねてきました。
北陵高校は2005年度より「単位制普通科高校」への移行を図っていましたが、校庭から遺跡が発見され、文化財保護という観点より、従来のまま「学年制普通科高校」で行くことが決まりました。そういった混乱を乗り越え(どうやら生徒の方はそれほど混乱していなかった模様ですが)、今回の文化祭へと辿り着きました。
単位制高校への移行が決定していれば、今年は体育祭だったかもしれない(北陵は文化祭と体育祭が隔年開催)とのことでしたが、従来の予定通りとなったようです。
我々が訪ねたのは金曜(つまり平日ですね)の午後でした。これもやや不思議なスケジュールだとは思いました。だって平日の昼間やったんじゃ、他校の生徒たちは来ることが難しいですからね。
これは、どうやら本年度から前後期の二期制へと移行した影響で、10月1日の後期始業までに代休を終わらせることを考えてのことだったようです。
お母さんたちの姿もチラホラと見受けられました。「家とは違う子供の姿を見たくて」と仰っていたお母さんの意見が、親の気持ちを象徴するものかと思われました。
また、塾での教え子の数も一番多い学校なので、そこらじゅうで「ジュース買ってぇ〜」「焼き鳥買ってぇ〜」「あんみつ食べてぇ〜」「劇やるから見てってぇ〜」と声を掛けられ、ややあたふたしてしまいましたが、6月に改選された新生徒会の面々を中心にしっかりと取材もさせてもらいました。
2005年度からの学区制撤廃に伴い、茅ヶ崎学区の高校も今以上に特色を出してもらいたいと念じています。また、そうでないと、地元の中学生たちが藤沢・鎌倉・平塚・綾瀬といった地域の高校に流出するのでは、と、ちょっとした危機感も抱いています(必ずしも地元の高校へ進学することがよい、とは思っていませんが)。さて、北陵高校の「色」はどんなものでしょうか。
と、ここまで書いて、やはり
「なぜ牛なのか」
という疑問が解決されていないままであることを思い出しました。今度、生徒会長くんに聞いてみますね。
そりゃ驚くって。生徒会長以下、副会長・書記・会計の計6名が全員1年生なのであるよ。何か示し合わせたかのようで、そのあたりを本人たちは勿論、生徒会指導の木村巧先生にも伺ってみたわけだが
「偶然」
だそうだ。2年生諸君は立候補しなかったらしい。
6月に鶴北戦(北陵では「北鶴戦」と呼ばなければならない)で前会長の赤崎くんに取材させてもらった時には
「体育祭のお荷物ではない、真の文化祭実現」
ということをテーマの一つに挙げていたが、その継続・継承ということについて会長の中村くんに尋ねたところ
「いやぁ、実際はよくわからないんですね。ただ、1年生でまだ学校に慣れていないということを逆に武器にして、新たな生徒会を、というふうに考えています。」
とのこと。ただ、前会長が提唱していた「地域との交流」は大切にしているそうで、美化委員会との連携で清掃をしたり、文化祭の後夜祭での花火に対して理解を求めるため、近隣家庭を回ったりしているそうである。
文化祭という行事に対しての思いは?という問いに
「自分たちも含めて盛り上がること。他校との喧嘩などトラブルを起こさず、未然に防ぐこと。発表する出し物などが重複しないこと。」
といったことを挙げてくれた。1年生にしてはメチャメチャ冷静です。
といいつつも、会長の中村くんが水泳部所属で、プールでのシンクロを演じてみたりで、少なくとも盛り上がりについてはクリアされていたように思える。
(もうちょっと寒かったら死人が出るのでないかと心配されましたが)
今後、学区制撤廃などが実施される中、中学生たちに北陵高校のよさをアピールして下さい、という質問には
「仲がよく和んでいる」「自由な校風だけど、やる時はやります」「中学よりずっと開放的で自主的にやりたいことができる」「宇宙飛行士の野口聡さんを輩出するなど文武両道」
といった答えが次々と出てきた。入学後半年にして、ひじょうに強い母校愛を持っていることがひしひしと感じられ、頼もしい面々だ。
頑張っている文化部は?という質問には、猪原さんが
「吹奏楽部はすごく頑張っていると思います。でも、JRC(彼女が所属している)も頑張ってますよ。取材に来て下さいね。」
と語ってくれた。北陵JRCの子たちとは随分長い付き合いをしているので、今度お訪ねしますね。
彼ら6名が来年もこのまま持ち上がりで生徒会を形成するのかどうかは、勿論、現段階では未定である。しかし、偶然の産物にせよ、全員が1年生であるということは、2ケ年計画でいろいろと行事の見直しや広報の活発化などが期待できる、ということでもある。
「部活.ネット」では今後とも北陵生徒会の活動に注目してゆきたいと思う。
左から会計の猪原千晶さん・書記の丸山めぐみさん・書記の堀川綾乃さん・指導の木村巧先生・会長の中村皓佑くん・副会長の桂信一くん・副会長の真野ちさとさん
長時間に亘り、座談会のような形式で活発に話してくれた生徒会の面々
生徒会長でシンクロも披露する中村くん
ちなみに、中村くん・猪原さん以外の人も皆、部活もやっている。
桂くん・・・男子バレー部(既に一度取材させてもらいましたね) 真野さん・・・水泳部マネ
堀川さん・・・剣道部 丸山さん・・・バドミントン部(北鶴戦で伺いましたね)
また、部活取材の際もよろしくね。
熱弁!木村巧先生
生徒たちとの話のあと、指導の木村巧先生(美術担当)にいろいろと北陵高校の現状についてお伺いしました。
赴任11年目という木村先生はたいへんに北陵高校への愛着が強いようで、週休2日制になったために、音楽と美術が選択になったことを嘆いておられました。
(音楽選択の生徒でも美術に優れたセンスを持っている子がいるのに、それが惜しい、とのことです)
また、北陵高校は生徒たちが勉強は勿論のこと、部活や行事に対して必死に頑張る学校であるということと、生徒たちが純朴であることを強調されていました。
(これについては私も同感です)
県の予算が少ないため、校舎その他が老朽化していること、冷房などの設備が整えられないことなど、私立に較べて勝てない面もあるが、是非、北陵高校に来て学んで欲しい、と熱を込めて話して下さいました。
ご協力ありがとうございました。
水泳部 シンクロナイズドスイミング「ウォーターピーポー」
これは相当面白かった!水上にリフトする場面もあり、水泳部ならではの出し物だったと言えよう。
ちょっと肌寒い中、よく頑張ってました。MVP(あくまで「部活.ネット」が選ぶ、という意味ですので誤解なきよう)を差し上げます。
ところで、これからの季節、まさか屋外のプールでは泳げないと思うけど(泳ぐの?)、どんな練習をするんだ?
保健委員会 地味に素敵な「アンケート調査」
国際的な調査とも相通じるものがあった保健委員会のアンケート。自分や自分の通っている学校に対して、もっと誇りを持ってくれるといいのだけど...。
個人的には、こうやって地味ながらきちんと活動しているものは好感が持てる。
それにしても「北陵に好きな先生はいますか?」という質問はなかなかよろしい。名前が挙がった先生はホッとしているかな?でも、名前が挙がらなかった先生の中にこそ、真に北陵生や教育のことを心配している人も多いはず。
で、「嫌いな先生はいますか?」という質問事項は見つからなかったけど....。
(そりゃ、できませんわな)
3年8組 劇団38季
社会科室にて上演された劇団38季の熱演。
冷房がないのは仕方ない。窓を締め切って演技するのも甘受しよう。しかし、あのクソ狭い部屋の中に80人近く(出演者も含めて)入っていては酸欠にもなろうというものだ。
でも、この38HRを含め、クラスが一体となってやる出し物には高校生ならではの感動もある。こういったものをきっかけに演劇の世界へ足を踏み入れる人もいるが、それについては「自己責任」で決めてくれ!
ネーミングに関しては、鶴嶺高校や茅ヶ崎高校の方が個人的には「ツボを突かれる」ものが多かったように思いました。ま、ネーミングより中身ですけど。
どの学校にも共通して言えるのは食販店がやたらと多いことです。あくまで、個人的な感想を言えば、劇などがもっと多くてもいいかなぁ、と。劇をやる、というのは最初のうち、何かとってもかったるいような気もするものですが、だんだんと練れてゆくうちに一体感とかが出ますからね。
北陵では、そういったものは体育祭の方で発揮されているのかもしれません。
◇
北陵高校文化祭へ
◇
鶴嶺高校文化祭へ
◇
TOPページに戻る
9月14日(日)、茅ヶ崎高校文化祭へと侵入してまいりました。
取材の都合で、一般公開時間より早く中に入れてもらったのですが、直前の慌しさがなかなかリアルでよかったですよ。
鶴嶺とは違って、PTAが無料喫茶やバザーを開いているのが目につきました。授業参観よりも、子供たちの生態がよくわかる(?)と、あるお母さん。
(茅高は授業参観ってあるんですか?)
バザーの収益は茅高名物のナイトハイクでの豚汁やおにぎりになるそうです。
で、テーマは『無限大』。正門前にその意図がしゃれた字で書かれていましたが、この写真ではちょっと見づらいでしょうか。また、正門のところにはアーチ(ゲート?)が架けられていて、そのてっぺんにはなぜかゴルフボールのようなものが...。あれは何を意味するのか、聞いてくるのを忘れてしまいました。
と、まあ、駆け足の訪問だったので、日頃は何をしているのかよくわからない(失礼!)部活なども訪ねてみたかったのですが、今回は「文楽部」(一人遣いの人形浄瑠璃)を中心に取材させてもらいました。
摩訶不思議なゲートは、もしやChigasakiのCがモチーフなのだろうか?
写真右はお母様たちによるバザー。結構お客さんが足を止めていました。
◇
創部45周年記念公演取材記へ
桐竹智恵子師匠にも入って頂き
集合写真を撮らせてもらいました
総文祭に参加した際の旗
演目は「寿式二人三番叟」
文楽。それは落語家の名前ではない。
ネット検索できる「大辞林」という国語辞典に拠れば
(1)「文楽座」の略。
(2)〔文楽座が明治末期に、唯一の人形浄瑠璃専門の劇場となったところから〕人形浄瑠璃の通称。
とあるのだが、これでわかる人は相当立派。で、さらに「文楽人形」というのも調べてみると
文楽の操り芝居に用いる人形。義太夫節の演奏に合わせて、人形を三人で遣う。
あれあれ、三人で?うむむ、これを通称『三人遣い』というわけか。
操り人形の操法の一。一体の手遣い人形を、首(かしら)と右手を主遣(おもづか)いが、左手を左遣いが、両足を足遣いがそれぞれ担当して操作するもの。
1734年、「蘆屋道満大内鑑」上演のときから行われたという。日本独特の形式。現在、文楽座に伝承されているのがその代表。
これは、二宮高校などで行われているものだ。ところが、茅ヶ崎高校では『一人遣い』という、また別のものを演じている。これをどうやら『乙女文楽』と呼ぶらしく、吉田光華という人のホームページに拠れば
三人の男性が一体の人形を遣う文楽と異なり乙女文楽は女性一人で一体の人形を操ります。
首(かしら)は遣い手の頭に、足は遣い手の膝に紐で結ばれ、それにより連動する仕組みです。
乙女文楽は昭和初期に大阪で誕生し、親しまれましたが戦争のため解散。平成4年、約55年ぶりに復活しました。
となる。つまり、男はやってはならん、ということで『乙女』という冠がついているようだ。
しかし、そもそも多くの高校生・中学生は“浄瑠璃”というものを歴史や文学史で教わる以外に、全く知らないと言っていいだろう。
どうやら室町時代に始まり、江戸時代に近松門左衛門をお抱えの作者として迎えた竹本義太夫が「曾根崎心中」などで関西方面で大人気を博した、ということであるが、まあ、日本独自の人形劇とでも言えばよいか...。
要するに「人形遣い」「三味線」「義太夫(関西弁で語られるセリフのことですなぁ)」を同時に生で行う日本式オペラである。
(演歌は既に「伝統芸」に片足を突っ込んでいるし、やがてビートルズも、ロックやラップといったジャンルの音楽も「伝統芸」になりますぞ)
茅ヶ崎高校では、人形浄瑠璃のうち、人形を一人で遣う『乙女文楽』を行っているわけだが、勿論、部員は女子だけである。そこに師匠の先生方が手伝って成立しているわけだ。
部員は現在、1年生4名・2年生2名・3年生4名の計10人。毎週木曜が本格的な練習の日だそうだ。彼らが演じるのは、人形遣い役と「後見」(こうけん)と呼ばれる、いわば黒子である。
茅ヶ崎市内でこうした伝統芸能を部活動として実施しているのは、茅ヶ崎高校だけ。市内で最も伝統があるからこそ、ということなのだろうか。
この文楽部、来る
9月27日(土)に茅ヶ崎市民文化会館小ホールで「創部45周年記念公演」
を行うことになっている。観客は少ないそうだが、文化祭ではナント“立ち見”(といってももとから26席しかなかったけど)が出るというブレークぶり。
皆さん、日本版ルネサンスを是非、見に行って下さい。
◇◆◇◆部長さんに聞いてみました◆◇◆◇
Q:「で、なぜまた文楽をやろうと?」
A:「オリエンテーションで見て、これは面白そうだなぁと思って。小学校の時、演劇部にいたのですが、声を出すのがちょっと苦手というか...。」
Q:「実際にやってみて、どこが面白いのか教えて下さい。」
A:「人間と人形が一心同体になることですね。」
Q:「一般的に高校生は文楽を知らないかと思いますが、セールスポイントみたいなものはありますか。」
A:
(「ちょっと待って下さい...」と言ったのち、10秒ほどして)
「人形は命のないモノですが、遣い手によって命を吹き込まれる、といいますか。上手な人がやるのを見ると絶対感動しますよ。」
Q:「部員は全部で10名ということなんだけど、これは多いと言えるのか、やはり少ないと言えるのか、どちらでしょうね。」
A:「部員があまり多いと、せっかく人形遣いをやりたくて入部してきても3年間ずっと裏方になったり、役割が決まってきてしまうので、適正かなぁ。でも、やっぱりもう少し部員も増えて欲しいですね。」
27日の公演では中学生たちに積極的に声を掛けてみてはどうでしょう?「部活.ネット」でも微力ながら宣伝しておきますね。頑張って下さい。
現部長の内藤千紗さん(3年)
←クリックすると「乙女文楽」の映像がご覧になれます
吹奏楽部・・・マーチングバンド?
校内を演奏しながら練り歩くの図。
3年生はこの文化祭で一時引退。来春の定演までは受験勉強ということでしょうか...。
校内には「新入部員募集」のポスターも。また、取材に伺いますね。
合唱部・・・おぉっ!男子がいっぱいだ
驚きました。これまで各高校の吹奏楽部を訪問してきた経験上、絶対に女子圧倒的多数、と思いきや、意外にも男子部員が多い!ま、考えてみれば、「混声合唱曲」とかあるし、女の子だけでは出来ませんものね...。
今度、ちゃんとした形で訪問させて頂きます!
「部活.ネットの者です。今日は取材に来ました。」と言うと、受付の女の子が満面の笑みで迎えてくれたのがとても印象に残っています。「とっても個性的でいい学校ですから、いっぱい取材していって下さい。」とも。愛校心というのは、そうやって外部の者が訪れた時に芽生えてゆくものなのかもしれませんね。
で、茅ヶ崎高校ネーミング大賞(あくまで「部活.ネット」が選んだ、という意味です)は
3年7組『野球丼』
。名前からして、野球部の出している模擬店なのかと思いきや、「やきうどん」屋でした。
校舎内に掲示されたポスターなど
◇
北陵高校文化祭へ
◇
茅ヶ崎高校文化祭へ
◇
TOPページに戻る
9月7日(日)、一般人のようなフリをして鶴嶺高校の文化祭に侵入してきました。
今年のテーマは「まつりだ!ワッショイ!」とのことで、各クラス・部活とも、趣向を凝らしたお店を出したり、パフォーマンスがありました。
もらったプログラムの中で、柴田校長は「週5日制となり、行事縮小傾向がある中、鶴嶺高校は体育祭とともに文化祭の存続を選択した」と述べていらっしゃいます。
その意気やよし!学校は受験のためだけに存在するわけではないので、こうした行事を通じて高校生たちが自分の可能性に気づいてもらいたいと念願します。
残念だったのは、6日に行われた“ダンス部&チアリーディング同好会” の演技が見られなかったことです。野球の取材をさせてもらっているうちに、チアを創設したOGの子たちと知り合って、野球応援以外ではどんなことをするのか、見たかったです。
また、文芸部と吹奏楽部にお邪魔させてもらい、ちょっとした取材も致しました。ご協力ありがとうございました。
中庭で行われていた「国際交流委員会」のイベント。“国際”は鶴嶺高校を語る時のキーワードだ。
吹奏楽部ミニ訪問記
訪問日:2003.9.7
茅ヶ崎市内公立校の吹奏楽部の中で唯一、本格的な訪問をしていなかった鶴嶺高校であったが、この文化祭をきっかけに“ちょっとした”訪問をさせてもらった。
既に、顧問の田島先生・堀内先生には何度もインタビューさせて頂いていたのだが、部員の声を直接聞く機会がようやくやってきた、というわけだ。
現在、部員は23名。2年生は8名で1年生が15名。男の子はたった2人である。男子部員2名というのは、西浜高校の3名を下回る、茅ヶ崎最小記録(?)である。
部長の山内麻奈未さん(2年)にその点について聞くと
「男の子は伝統的に少ないですねぇ。でも、その代わり、女の子がとても逞しいので大丈夫です。」
という答えが返ってきた。
7月に行われた湘南地区の吹奏楽コンクールではB編成部門(35人まで)で金賞を獲得するなど、最近力をつけてきた鶴嶺高校吹奏楽部であるが、
「堀内先生が赴任されて、毎日のように合奏できるようになったことが大きいと思います。去年までは遠くに住んでいる方に教えに来てもらっていたので、今年のようには合奏時間が取れませんでした。
金賞は素直に嬉しいです。」
とのこと。
文化祭では、中庭に於いて「トリ」を務めるなど、やはり文化部の中では花形であり、屋外ということもあって、聴衆(というより、「観客」?)も大勢。既に出店を終了した教室からも視線が集まっていた。
山内さんの担当楽器は私(=管理人)の最も好きな楽器であるホルン。
彼女は今回、ホルンの演奏だけでなく、指揮も行った。学生指揮は大変なのでは?という質問には
「練習の時は嫌だったんですけど、本番はとっても楽しかったです。」
演奏後はひじょうに晴れやかな表情であった。
鶴高吹奏楽部のいいところは?という質問に
「仲がよくて、皆で音楽を作ろうとしていること」
と即答。無理に男子部員を増やそうとはしていないが、音楽が好きな人には是非入部して欲しいとも。私が鶴高生なら、即入部するんだけど...
今後は来春の定演に向けてじっくりと準備してゆくということで、定演での彼らの演奏を楽しみにしたいと思う。
1曲目はピンクレディの「サウスポー」
指揮は堀内先生
以下はインタビューに応じてくれた
部長の山内麻奈未さん(2年)
ホルンはいい音色だよね
大観衆(?)の中、指揮を執る
よ〜く見るとわかるのだが、全員がメガネを掛けている。目が悪いメンバーが集まったわけでなく、衣装の一部だったそうだ。
特派員「まゆ」は今まで隠していたが、実は茅ヶ崎高校3年在学中で、茅ヶ崎高校文芸部の創設者だったりする。ところで、文芸部って、何するところなんだ?教えてくれざんす〜[by 管理人]
←鶴高文芸部の部誌『フェニックス』
まゆの「文芸部」取材記
文章を書くことは、チームプレーのスポーツなどとは違い、ひとりでもできる。それが集団=部活になると、どんな意義を作者にもたらすのか。
「みんなが書いてきた文章をもちよって、合評会をひらき、よりよい形で部誌に載せるようにしています。原稿を集めるのは大変だけど、みんなで協力してできあがった部誌を見るとやっぱりうれしい。」と、鶴高文芸部部長が部の意義を話してくれた。
同部は「俳句甲子園」出場でも有名な部。近年は俳句をやる生徒が減っているそうだが「俳句は鶴高の伝統。代々部誌の最初を飾っているし、またやる生徒も出てくるでしょう。」と顧問の石井巧先生はへこたれない。
部員は3年生が6名、2年生がゼロで、1年生が3名。部員数が多いのか少ないのかは判断しかねるが、主に、小説(童話などもある)・詩そして俳句が部誌に並ぶ。
私のこの文章も、書いているだけでは何の役にもたたない。読む人に何かを伝えられる、そんな文章を書きたいと思った。
左:部員諸君の集合写真 右:部誌の解説をする石井先生と聞くまゆ
石井先生がまゆに対して「是非、鶴嶺と茅ヶ崎で交流を持ちましょう」と優しく語りかけていたことをお伝えしておきます。
◆特別手記◆ 管理人、『文芸部』について思考する
個人的に思い出すことが幾つかある。中学時代、文芸部の子たちはほとんど全員が他の部活を掛け持ちしていた。というより、文化祭にならないと文芸部が存在していることすら忘れてしまっていた。それは、重量挙げやアマレスがオリンピックにならないと思い出してもらえないのとちょっと似ている。
ところがだね、私がちょこっとだけ付き合っていた女の子が文芸部所属で、よせばいいのに、私に『ハイネの詩集』なるものを読ませようとした。中2だぜ。読んで理解できる方がおかしいっつうの。
しかし、彼女のご機嫌を損ねないために、適当にめくったページに載っていた詩を一つだけ暗記して、
「ハイネのこの詩がいいよね。」
などと語っていたから情けない。勿論、今ではそのタイトルすら思い出せない。だいたい、ハイネがどこの国のいつの時代の詩人なのかも知らなかったわけだ。
そんな私であったが、中3になり、またしても文化祭の季節がやってきた。文芸部は彼女が中心となって『石川啄木 一握の砂』というテーマでひと教室を使ってちょっとしたイベントを催していた。致し方なく私もちょっとだけ顔を出して、致し方なく手にとった作品が以下のものであった。
「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」
ちょっとしたカルチャーショックを受けた。正直言って、私は当時、短歌など馬鹿にしていたところがあった。
詩人といえば北山修
(といってわかる人がどれほどいようか。「戦争を知らない子供たち」や「あの素晴らしい愛をもう一度」の作詞者と言って通じれば幸いだ)
が絶対無二の存在であり、それ以外はハイネも含め、全ては領域外のことだと思っていたからね。
高校生になってから啄木にハマリました。彼女とはすっかり別れてしまっていたけど。
実生活の啄木は、作品から想像されるよりも快活で、尚且つ借金王だったらしいが、彼が発する31音というのは、難しい技であるとか、決まりごとのようなものを超えて、情緒不安定な私を襲撃したのであった。
戯れに母親を背負ったら、その軽さに涙が出た、とか、浜辺で蟹と泣きながら戯れる、とか、友達が自分より偉く見えるような日は花を買ってきて奥さんと楽しむ、とか、信じ難いものも多数含まれてはいたが、そういったものでさえ、心に染み入るような気がしたものだ。
だいたい、私は啄木の影響で
「自分は絶対26歳で死ぬ」
と思い込んでいた。啄木は結核で26歳で夭逝したからね。私はもうすぐ43歳だけど。
その後、私が文学少年となり(嘘です)、のちに直木賞作家となる重松清くんに文章指導したのは、あまりにも有名な話です(これはホントです)。
だいたい、今、このサイトを運営していること自体が、「文芸部」によってもたらされたものであったことに気づき、愕然とするのであった。
文芸部。侮ってはならない...
いやぁ、高校生諸君、頑張っているね。それぞれの企画も楽しそうだし、ネーミングも素敵だ。個人的には
『二の腕喫茶』
にネーミング大賞を差し上げたいと思う。意味がよくわからないけど、そそられる名前だ。売上はどうだっんだろう...
何か意図があって写真に撮ったわけでもなく、意図をもって並べたわけでもないのですが、何となく雰囲気が醸しだされているように感じます。